2013年05月13日

建築家職能運動120年奮闘記 vol.41

 1890年(明治23年)夏、辰野が提出した日本銀行本店の設計案が閣議の了承を得て、9月にいよいよ工事がスタートします。ついに、日本人建築家によるはじめての国家的建築の建設が始まったのです。その計画案は、地下1階、地上3階の総石造りでしたが、この年10月に岐阜県を襲った濃尾大地震の被害状況から、建物を軽くするために2,3階は煉瓦造に御影石張りとなりました。様式としては、柱やドームなどのバロック様式に、規則的な窓などのルネサンス様式を取り入れたネオ・バロック様式で、秩序と威厳が表現されています。外観はベルギー国立銀行にならって左右両端を強調して中央を軽く見せるという珍しい構成。中央の壁には銃眼が穿たれ、まさに城砦という雰囲気です。
 日銀本店の建設には、1896年(明治29年)2月まで7年近い歳月が費やされました。その間、辰野は近代的な施工体制作りにも挑戦します。旧幕府作事方の流れをくむ臨時建築局に残っていた、材料や施工に対する目こぼしや公然たる業者からの賄賂等々の悪弊に、目をつぶるわけにはいかなかったのでしょう。
 辰野は「アーキテクトは芸術家であると同時に技術者であり、デザインだけでなく、工事全般を監督し、工事一切に責任を負う職能だ」、ロンドンの建築家バージェスから学んだこのことを実行しようと固く決意し、挑戦したのです。

松本 純一郎
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/67274448

この記事へのトラックバック