2012年07月09日

建築家職能運動120年奮闘記 vol.35

 山尾庸三が臨時建築局総裁に就任した3か月後の1888年(明治21年)7月、日本銀行は臨時建築局に対し、本店設計者の推薦を依頼します。通貨価値の安定による近代国家への脱皮という重要な使命を担った日本銀行は、1882年(明治15年)に設立されていました。そして、その本店は海外の投資家にも信頼感を与えるような立派な建築が求められたのです。敷地は、官庁集中が計画されている霞が関、日比谷一帯から変更となり、渋沢栄一が提唱していた日本橋商業街計画地の一角に決まりました。
 山尾は早速辰野を訪ね、設計者として推薦することを伝えます。これまで、お雇い外国人建築家に頼らざるを得なかった国の重要建築物を、初めて日本人の建築家が手掛ける時がついにやってきたのです。その時の辰野の喜ぶ顔が目に浮かぶようですね。        
 そして1カ月後の8月には臨時建築局を辞め、岡田時太郎を伴って、銀行建築の調査のため欧米に向けて旅立ちました。
松本 純一郎
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