2012年06月25日

建築家職能運動120年奮闘記 vol.33

 造家学会の会合に、会社や自宅のスペースを提供した清水満之助は当時、清水店の3代目店主として近代建築請負業への飛躍を期し、優秀な技術者や設計者の社内への採用を進めていました。造家学会においては第一号の賛助会員となり、支援を惜しまなかったそうです。
 造家学会理事となった坂本復経が、学会設立の1886年(明治19年)、辰野の推薦で清水組に技師長として入社しています。また鳥居菊助も後に、日本土木会社に入社することになるといったように、建築施工会社も優秀な技術者や設計者を採用し、西洋建築移植という国家政策のなかで徐々に力をつけていくことになります。幸い1889年(明治22年)に制定された会計法によって、公共建築の設計施工一貫方式は法的に規制されたものの、建築界一丸となっての新しい国づくりのなかで、設計施工という日本独特の形態の基礎が形作られつつあったのです。
松本 純一郎

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