2012年06月11日

建築家職能運動120年奮闘記 vol.31

 辰野はイギリスにおいて建築家の下で実務を経験したこともあり、西欧的なアーキテクトの職能を根付かせるためには、独立した建築設計事務所を主宰すること以外に道はないと考えていましたしかしながら彼の建築界における指導的立場はそれを許さず、工科大学教授として、後進を育てるための大学教育に専念せざるを得なかったのです。同時に清水組のように当時、力をつけつつあった建設会社に坂本復経、中村達太郎や渡辺譲といった後輩や教え子を送り込み、技術力の向上や設計部門の確立にも力を尽くしていました。
 日本の社会に建築家の職能を定着させる必要性を辰野と同様に強く感じていた曾禰も、1886年(明治19年)には海軍省の建築技師として活躍していました。そして1890年(明治23年)以降は恩師コンドルの紹介で三菱社に入社し、当時の財閥初の設計組織(現三菱地所設計)を確立するために尽力します。一方で妻木や片山らは、それぞれの官庁に於いて官僚建築家達を指導する立場にありました。
 このように明治初期の建築家達は、民間において設計監理の仕事に専念する立場にはなく、政府内部や国と結びついた財閥のなかで指導力を発揮すると同時に、建設会社の技術力向上にも一役買うといったように、日本の建築界に関するあらゆることに対処しなければならなかったのです。
松本 純一郎

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