2012年04月30日

建築家職能運動120年奮闘記vol.26

 文部省の建築家として活躍した山口半六は、1858年(安政5年)出雲国松江に、松江藩兵学者山口軍兵衛礼行の次男として生まれます。藩校でフランス語を学び、13歳で東京に出て、翌年大学南校(東京大学の前身)に入学。天才として崇め賞されたほど優秀だったそうです。そして文部省の留学生に選抜され、1876年(明治9年)フランスに留学し、国立パリ中央工芸学校で建築を学びます。
 1881年(明治14年)に帰国後、一時、郵便汽船三菱会社でレスカスの下で働いた後、1885年(明治18年)文部省に入ります。そこで久留正道(工部大学校3期生)と共に、第一高等中学校をはじめ金沢の四高、熊本の五高、上野公園に残る日本初のコンサートホールといわれる旧東京音楽学校奏楽堂などを手がけました。1891年(明治24年)には辰野に次いで二人目となる工学博士号を授与されています。もし辰野が工科大学教授を断っていたら、彼がその席に着いていただろうといわれています。
松本 純一郎
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