2012年04月23日

建築家職能運動120年奮闘記 vol.25

 日本の建築家第一世代といわれる人々のなかで、辰野金吾や曾禰達蔵らのイギリス派と、松崎万次郎や妻木頼黄らのドイツ派に対して、フランス派として活躍したのが片山東熊と山口半六です。
話はずいぶん遡りますが、長州藩、萩の下級武士である片山家に生まれた片山東熊は、1865年(慶応元年)二人の兄に続いて藩の騎兵隊に入隊します。体が人一倍大きく年齢を偽っての入隊だったそうです。門限を破ることが多く謹慎を命じられたこともあり、剛毅な性格で、1868年(慶応4年)の戊辰戦争においては、兄たちと共に会津征討総督参謀山県有朋率いる官軍に参加し、東北各地で奮戦しています。度重なる疲労のため戦場で寝てしまい、砲弾の飛び交うなか九死に一生を得たという逸話も残っています。
工部大学校卒業3年後の1882年(明治15年)、山県有朋のはからいで有栖川宮邸の設計でコンドルの助手として図面作成の機会を得ます。その後、家具調達などでヨーロッパに数回も足を運び、独学でフランスの宮廷建築を学びます。後に山県の配慮で宮内省に入り、奈良帝室博物館(明治27年)、京都帝室博物館(明治28年)などの素晴らしいバロック建築を設計。さらに明治以降の建築で初めての国宝となった、バロック−ルイ14世様式の旧赤坂離宮(後に村野藤吾によって改修された現迎賓館)を設計し、日本最高の宮廷建築家として名を馳せました。

松本 純一郎

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