2011年02月01日

建築家職能運動120年奮闘記 P

 1884年(明治17年)、コンドルの契約期限が切れると辰野が造家学科教授となります。ここに造家学科初の日本人教授が誕生したのです。
 助教授だった曾禰は、コンドルと一緒にその職を辞することを前もって辰野に告げていました。当時工部大学校の卒業生が中心となって発足していた「工学会」の機関誌の委員をしていた曾禰は、イギリスの建築事情の寄稿を頼むため、辰野の帰国後初めて辰野を訪ねます。その折、彼は工部省での仕事への不満からコンドルに助手にしてほしいと手紙を書いたことや、当然、辰野がコンドルの跡を継ぎ教授になるべきであるという彼の考えを伝えていたのです。そして彼はコンドル退職と同時に助教授を辞し工部省営繕課に戻ることになりました。
 教授の席をめぐって一時、多少ぎくしゃくした二人の友情は、これを機にさらに強固なものとなりました。そして西欧のアーキテクト像の深い理解者だった二人は、日本における初期の建築家職能確立運動の中心的存在として協力し合うことになるのです。

松本 純一郎
この記事へのコメント
ありがとうございます。
一日遅れでしたが、無事読むことが出来てホッとしました……。
Posted by at 2011年02月01日 20:25
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