2013年04月22日

建築家職能運動120年奮闘記 vol.40

 桜井小太郎が登録建築家資格を取得したイギリスでは、日本の幕末期に当たる1834年(天保5年)に、RIBAの前身であるIBAが設立されています。1837年(天保8年)には王室の勅許状(ROYAL CHARTER)を授与され、RIBA(英国王立建築家協会)に名称変更。その後1863年(文久3年)には、独自の建築教育認定試験を実施します。さらに、1887年(明治20年)にはRIBA会員登録試験制度を実施して、建築家職能の確立運動を着実に進めていました。
 ヨーロッパでは中世以来、友愛的な相互扶助を目的とした、職業団体であるギルドが発達していました。イギリスにも、自らの職能(プロフェッション)と構成員の利益を守ることを目的とした、職人のギルドであるクラフトギルドがありました。建築家協会の早い時期の設立は、こうした歴史とも無関係ではないでしょう。
 その後、RIBAや、同じ建築家の団体であるソサエティ・オブ・アーキテクツの半世紀以上にも及ぶ努力の結果、イギリスにアーキテクト登録法が成立したのは、1931年(昭和6年)でした。そのような歴史を経て、現在も行政のバックアップのもとで、RIBAという建築家職能団体が建築家の資格試験制度を取り仕切っているのです。

松本 純一郎

2013年04月15日

建築家職能運動120年奮闘記 vol.39

 辰野、岡田と共に欧州銀行建築調査に同行した桜井小太郎は、第一高等中学校中退後東京帝大工科大学選科生となり、コンドルの建築事務所で建築実務の指導を受けていた変わり種でした。
 辰野、岡田が帰国したのちもロンドンに留まり、1889年(明治22年)9月にロンドン大学ユニバーサルカレッジに入学し、1890年(明治23年)に好成績で卒業します。その後、ロジャー・スミス建築事務所で2年間実務修習を行った後、1892年(明治25年)には英国王立建築家協会(RIBA)会員登録試験制度の認定試験に合格し、日本人として初めてRIBA公認建築家資格を取得しました。
 桜井は、1893年(明治26年)に帰国し、海軍技師を経て曾根達蔵の勧めで三菱合資会社地所部(現三菱地所)に入社します。そこで技師長として主に丸の内ビジネス街建設に関わり、1923年(大正12年)には桜井小太郎建築事務所を設立し、1935年(昭和10年)竣工の代表作、横浜正金銀行神戸支店(現神戸市立博物館)の設計を最後に引退しました。正面にドーリア様式の円柱が堂々と建ち並ぶ、新古典主義建築の重厚なその外観は、旧神戸外国人居留地の街並みに深みを与えていて、神戸における様式建築の最後期の作品として親しまれています。

松本 純一郎

2013年04月08日

建築家職能運動120年奮闘記 vol.38

 辰野一行は、1888年(明治21年)の末にロンドンに渡り、岡田と桜井は早速ロンドン大学の講義を聴講することになりました。ロンドン大学はコンドルが卒業し、5年前には辰野も通った日本で建築を学ぶ者にとっては憧れの大学です。
 同時に一行は、今回の旅の主目的である17世紀末に設立された世界最古の中央銀行であるイングランド銀行を見学します。しかし、イングランド銀行は中世のカテドラルを改修したもので、図面は手に入ったものの日銀の設計にはあまり参考にならないことがわかり、辰野はヨーロッパ大陸に渡ることを決意するのです。
 そこで出会ったのが、日銀のお手本にふさわしい10年前に完成したベルギーの国立銀行本店でした。現在も国立銀行の一部に貨幣博物館として残されている、その建築の端正な美しさと重厚な佇まいに感動し、設計者である建築家のアンリ・ベイヤールに会います。そして、この銀行を「城砦」として設計したという話を聞き、当時の覇権を争うヨーロッパ情勢の中での小国ベルギーと、大陸の大国から常に脅かされている日本に相通ずるものを感じ、ベイヤールにアドバイザー就任の要請をします。
 辰野は岡田、桜井と共にベイヤールのアドバイスを受けながら、1889年(明治22年)初めには、日銀の基本計画を完成させました。その貴重な図面をスティール製の大筒に納め大切に抱えて、辰野と岡田がロンドンを発ち帰国したのはその年の秋でした。桜井はロンドン大学に正式入学するため、ひとりロンドンに残ることになりました。

松本 純一郎

2013年04月01日

建築家職能運動120年奮闘記 vol.37

 辰野に岡田、そして当時まだ18歳だった桜井小太郎という若者を加えて始まった欧米銀行建築調査の旅は、1889年(明治22年)10月までの約1年間に及びました。
 まずはアメリカの主要都市、サンフランシスコ、シカゴ、ワシントン、ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィア等を巡り、合衆国の大蔵省金庫や銀行を調査するなかで、新興国として試みられていた鉄筋コンクリート構造・鉄骨造など新しい技術に接することになります。
 そのなかでも当時のシカゴは、1871年の大火で失われた市街地の復興のさなかで、1880年代から1900年には多くの高層建築が建設されていました。フランク・ロイド・ライトの師であるルイス・サリバンに代表されるシカゴ派と呼ばれる建築家たちが、高層ビルという新たな課題に挑戦していました。鉄骨骨組構造に石積みという新しい建築技術によるサリバンの代表作、オーディトリウムビルが完成したのも、ちょうどその頃1889年(明治22年)です。

松本 純一郎