2011年03月07日

建築家職能運動120年奮闘記 vol22

 妻木頼黄らの一行20名がドイツへ渡るのと前後して、ドイツからは、エンデ&ベックマンをはじめとして、ベルリン都市計画の父といわれる都市計画家のジェームス・ホープレヒト、建築家のヘルマン・ムテジウスやリヒャルド・ゼール、さらには専門技術者等、総勢12人が来日します。明治政府がひとつの事業にこれほどの人々を招聘し、また派遣した例は他にないといわれています。それほどこの計画は、国家の威信をかけたものだったのだといえます。  
 そしてエンデ&ベックマンは、1886年(明治19年)、築地本願寺あたりから霞ヶ関の丘に向かう一直線の都市軸を背骨とする、官庁集中計画ベックマン案を提出します。その頃ベルリンのエンデ&ベックマン建築事務所では、妻木が国会議事堂、渡辺が裁判所、河合が司法省の担当スタッフとして設計に没頭していました。