2011年01月26日

いい建築ってなんですか?

最近、柄にも合わず、大学の「非常勤講師」なるものを引き受けてしまっております……。
内容は大学二年生の「設計製図」です。

今までは、こういった仕事や外に出て喋ること機会など、自分の設計以外の仕事はあまり積極的に引き受けることはしませんでした。なにせ、いったん引き篭もり始めると極度の面倒臭がりに成り下がってしまい、自分の設計以外のことは、本当にやりたくなくなってしまうんです……。挙句の果てについうっかり「大切なお時間をドタキャン」してしまうのではないかと、自分で自分が怖いんです…(笑)
……冗談はさておき、こう見えても学生のころまでは社交的で人前で喋るのは得意な方だったので、「人前でちゃらちゃら喋るのなんか、簡単なこと! ちょろい仕事なんか、やる気ゼロ」と高をくくっていたのです。
ところが、数年前から、どうしても人前に出て喋らざるを得ない場面も増え、やむを得ず出掛けてみると、イメージに反して、殆ど喋ることが出来ません。中途半端な自信があるのも災いして、最低限の準備さえもロクスッポして行かなかったんです。
何回かの挫折を繰り返し、「この欠点は数をこなして克服するしかない」と決意して、今「苦難の道行の真っ最中」って感じなんです。お話はすべてふたつ返事でお引き受けしております(笑)

というわけで、この設計製図の非常勤講師も引き受けてしまっているのですが、やってみると、これもまた生半可なもんじゃありません!!
設計も専門のプロじゃなければ、やっちゃマズイんでしょうけど、この「教える」ってことに関してもその筋の専門家でなければ、とてもじゃないですが理想に適うもんじゃありません。(と、思います)

しかし、まぁ、引き受けてしまったからには、とにかく一生懸命に自分が今まで学び取ったものを伝えようと思って奮闘しています。私が引き受けた課題は、彼らにとってふたつ目の設計課題であり、ということは建築設計に触れて「二、三ヶ月目」ってことです。そのころの自分がどうだったかなんて、どうあがいても思い出せません。「あ!こんなことも分かっているんだぁ」と思う瞬間もあれば、「二年生って、こんなことも知らなかったっけ」と思う場面も多々あり……、私としては、彼らの作ってきた模型や、説明する言葉に一生懸命、自分の思うままを「出来るだけ手加減せず(しかも分かりやすく)」喋っているつもりなんですが、
……自分の喋っている言葉がどの程度彼らに聞こえているのか、本当に自信がないんです。

ちなみに、この「自分の思うままを、出来るだけ手加減せず」が、一番重要だと、私自身は肝に銘じています。というのも、もし、設計を専業にしているものでなければ実感できない感覚に基づかず、建築設計についての一般的な物事に基づいて設計の指導を行うのであれば、私なんかよりも(大学の先生はもちろんのこと)大学院生や院卒の実務修行中の連中のほうがずっとうまく指導できる筈です。当然彼らは学生に推奨される設計について熟知していますし、学生の気持ちを分かってやれる、という意味も含めて、わたしたちよりずっと適任だと思います。

(教育のプロでもないくせに)わたしたちのようなものがつたない言葉で学生に接しているメリットは、ひとつだけ、だと思うのです。決して設計実務の感覚から離れずに、『(分かった風な)「建築設計的なもの」的な視点』に堕ちずに、建築家が本心から感じたことだけを伝えること、です。分かった風なことであれば、学生にでも、大学院生にでも言えます。少なくともそれとは一線を画し、「まじりっけのない」本当の言葉だけを喋ろう、伝わる・伝わらないに拘わらず、と考えているわけです。そうでなければ、教育のプロでもないわたしたち建築家が学生に何を教えるんでしょう?

というわけで、出来るだけやさしい言葉を選びつつも「内容に決して手を抜くまい」と決意しているわたしの言葉を、学生たちにどう聞こえているのか、本当に自信がないんです。

先日の「エスキス(学生の作業してきたものを個別指導することの建築用語です)」でもこんなやりとりがありました。

「先生。『いい設計』ってなんですか?」
彼は、ツカツカと早足で歩み寄ってきて、目の前に立ちはだかり見下ろして、言います。
急なことで、びっくりしていると、
「『いい設計』って、誰が決めるんですか? 先生が決めるんですか?」
彼は建築に憧れ、意気込んで建築学科に入学したものの、自分の思っていた世界と食い違っていることに戸惑い苛立っているんじゃないかと、思いました。もしかすると、最初の課題(このひとつ前の課題)では、思うような評価が先生から得られず、納得し切れていないのかもしれません。何かに対する不満と苛立ちが彼から溢れているような気がしました。

「『いい設計』ってなんですか?」
思い出してみると、学生のころの私も先生方にその質問をしまくっていました。
いろんな先生が本当に親切に、時に難しい言葉を並べて、時に数式らしきものを並べて(!)、『いい設計』について教えてくれました。いま思い返すと、親切にも先生がたが語ってくれた答えは「ある意味で」全て間違いでしたね(笑)。
大学を出て就職し、当時有名な建築家にも同じ質問をしたところ、即座にもっとも適切な答えをくれました。
「そんなこと、誰にも分かるわけ無いじゃないか!!!だから、誰もが必死で努力してんだろ!!『いい設計は何か?』の答えが分かったら、誰もこんなめんどくさい仕事しないよ!!」
……ある意味で「目からウロコ」でしたが、元も子もない、って感じです。その時には納得し切れませんでしたが、少なくとも、もうこんな質問をするのは止めよう、っていう気になりました(笑)
その時には、なんて面白みのない、知的でない答えだろう、と思ったのですが、今となってみると自分の本心を包み隠さず言ってくれた答えは、アレだけでした。教育の専門家である先生たちと、今まさにその問題に挑んでいる建築家では答えが違って当然です。「平和とは何か」って弟子たちに教え諭す宗教家と平和を勝ち取るために奮闘する平和活動家では、まるで違うでしょう。
私は答えを求める学生に、こういう言葉を返してやりたいんです。

今の私だとこう言います。

『いい設計は何か?』って質問に、答えられる建築家はひとりもいないよ。何千年前から今までもひとりもいなかったし、これから先にどんな大天才が出てきても、絶対に答えられないと思う。
でも、もし誰かが『いい設計』をしたら、それは誰から見ても『いい設計』なんだよ。
それが、建築がただの単なる技術じゃなくって、芸術であることの証拠でもあるんだよ。
……ちょっとしたきっかけで、ひょんなことから『いい設計』が生まれると、同時代のみんなから、「あれはいい建築だねぇ」っていわれるし、千年前の建築家が見てもそれを『いい設計』だって言う。千年後の建築家が見たって『いい設計』だって言うんだよ。千年後の建築家から見ると今の技術なんか稚拙でお話にならなくても、それは単に技術の話だけであって、『いい設計』っていう評価は変わらないと思うよ……。これは建築に限らず芸術としての要素を持つ営みのすべてについて、言えることだけどさ。

ただ、分かるようになるまでちょっとだけ努力が要る。
音楽だって、同じでしょ。
赤ちゃんの時に喜んで聴いていた歌じゃぁ物足りなくなって歌謡曲を聴き始め、歌謡曲が馬鹿馬鹿しくなって、クラッシックを聴いたり、ロックを聴いたり、ジャズを聴いたり……、いつの間にか『聴き方』を勉強しているんだよ。建築も『見方』を習得するまでに少しだけ努力が要る。それが分かれば私の言うことが理解できるはずだよ。
それが分かるまでのもう少しのあいだ、黙って勉強しなさい!!
そうすれば、あなたも千年前の建築家の横に並んで、「あの建築はいい」「この建築のここはいただけないよねぇ」って言い合えるようになるんだよ。

「わかりました」って小さく答えて、ぷいっとむこうを向いちゃったけど、20年後に何か気付いてくれればいいかなぁ、と、思うわけです。

(月)
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2011年01月24日

建築家職能運動120年奮闘記 O

 先週は、建築基本法研究会の韓国事例調査に団長として参加していたので、連載を休んでしまい申し訳ありませんでした。ソウル訪問は大変充実した旅となりました。何かの機会に皆さんにご報告したいと思っています。

 さて、辰野は、僅か半年間でしたがこのイギリスの高名な建築家の事務所で学んだことを生涯の誇りとしていました。そして「アーキテクトにとって最も大事なことは、文化を愛し文化を考えることだ。そのためには様々な国の建築やまちを実際に見ることだ。」という彼の言葉に忠実に従い、最後の一年間は家庭教師を雇い語学を学びながら、パリをはじめとするヨーロッパの各都市の視察に費やしました。(うらやましい!)その記録は「洋行日誌」と写生帖5冊、700を超える建築のスケッチに残されています。
 そして1883年(明治16年)辰野は帰国します。留学前の予定ではコンドルに代わって工部大学校の教授に就任するはずでしたが、コンドルの任期が残っていたため工部省技師となり、最初の作品となる銀行集会所の設計にあたることになりました。その依頼主は、当時第一国立銀行の頭取だった渋沢栄一でした。渋沢は民間にいながらも東京の都市計画にも興味を持ち、様々な構想を考えていました。この出逢いが後の日本銀行本店の設計にも繋がることになるのです。
 一方曾禰は、1881年(明治14年)工部省技師を辞し、自ら望んでコンドルの助手として工部大学校の助教授となっていました。
松本 純一郎

2011年01月18日

「八幡木窟 -Hachiman wood cave-」オープンハウス!

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「八幡木窟 -Hachiman wood cave-」オープンハウス!

2011年1月29日(土)30(日)
住所:仙台市青葉区
設計:株式会社 建築工房DADA 佐藤 充

  ……入場無料ですが、予約制です。

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2011年01月15日

「SAU+展2011」に行ってきました!!

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明日・日曜日まで、せんだいメディアテークにて開催中の「SAU+展2011」に行ってきました。
私は去年も見学に出掛けたのですが、今回は前回よりもはるかにパワーアップしていました。
それぞれの事務所がそれぞれのブースで好きな展示を思いっ切りやっているのですが、それが却ってすごく面白かったです。
統一感にこだわらなかったところが、勝因であるような、かんじです。

せっかく見応えのある展示なのに、同業者の来場は少ないようです…、ああもったいない!!
このあと簡単にレポートしますが、もしお時間がある方は、是非見に出かけてください。


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2011年01月14日

「宮城県看護協会会館・看護研修センター」建築批評会のお知らせ

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 2011年 2月3日(水)、関・空間設計による「宮城県看護協会会館・看護研修センター」の「建築見学会」と、「建築批評会」が開催されます。

奮ってご参加ください!!

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2011年01月13日

小堀遠州巡り・備中高梁編

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さて、小堀遠州・備中高梁編です。
年の瀬が迫る中、雪混じりに曇り空を憂いながら行ってまいりました。
先ずは「備中松山城」です。

詳しい説明はWIKIPEDIAをご覧いただくとして、何年か前に、日曜美術館か何かの「小堀遠州」の回の際に、番組で紹介されていました。残念ながら、私が目にしたのはこの間の数分だけで、番組を見たわけではありません。

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2011年01月11日

SAU+ 建築作品展2011

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SAU+ 建築作品展2011
   −東北の住宅が変わるvol.3−


2011年 1月 12日 (水曜日) 14時00分 〜 1月 16日 (日曜日) 20時00分
場所 せんだいメディアテーク   入場無料

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建築家職能120年奮闘記 N

 2月に横浜を旅立った辰野らの留学生の一行が、香港、シンガポール、そしてインド洋からスエズ運河を渡り、地中海に入りマルセイユ港に到着した後、汽車でパリからロンドンに着いたのは約一ヶ月半後でした。
 辰野は早速ロンドン大学を訪問し、RIBAの会長も務めた英国建築界の大物でコンドルの従兄、そして恩師でもあるロジャー・スミス教授に会います。彼のアドバイスのもと、ロンドン大学の講義が始まるまでの半年間、日中はキューピット建設会社での実習、夜はロンドン大学の夜間講座の聴講と、西欧の近代的知識を貪欲に吸収しようと頑張ります。そして10月、いよいよ新しい学期が始まってからは日中の講義に加え、夜はコンドルがロンドン大学卒業後働いていたウィリアム・バージェス建築設計事務所でアーキテクトになるための修業に励むことになりました。
 そんな無我夢中の生活のなかで、辰野がスミス教授やウィリアム・バージェスから学んだのは、近代的な工学技術以上に建築における文化的要素の重要性でした。現在、東京大学には彼が持ち帰ったロンドン大学の試験用紙が残っています。それは「建築において国民的な様式を形成するにあずかる影響力のいくつかを指摘せよ。その好例を残した古代と現代の主な国民と民族を指摘せよ。それぞれの様式とおおよその最盛期と有名な実例を述べよ」というものです。
 「建築は土木技術とは違ってその国固有の文化と深く結びついている。従って西洋の建築様式をそのまま移し替えることは不可能である。近代化を進め、欧米の工学技術を学ぶのはよいが、建築というのはあくまで自らの文化や歴史に基づいたものでなければならない」というのが彼らの言わんとするところでした。
松本 純一郎

2011年01月10日

閑話休題・奈良巡り(下)

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さて、奈良巡業のつづきです。
前回、東大寺を巡りましたが、悩んだ挙句に法隆寺に行くことにしました。法隆寺は小学校の修学旅行以来30年ぶりでしたが、「こんなに大きかたっけ!」と唖然としてしまいました。記憶にある法隆寺の周りの街区にも関連施設が大路をはさんで軒を連ねており、さながらひとつのテーマパークのようでした。

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閑話休題の中の「閑話休題」

なんか、「男の中の男」って感じで男らしいタイトルになってしまいました、っすね!
ウッス!!
つまるところ、「サボりの中のサボり」ってことです。小堀遠州めぐりの最中で、ふとした出来心から奈良へと寄り道し、その途中でふと「寄り道に逸れて考え込んでしまったこと」についての雑記です。決して膨大な数の写真を整理することに疲れ果ててしまっているわけではございません……(笑)
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京都から奈良を巡る道中、というか、最近古い建築を巡るたびに、その疑問がずっと、頭の中で浮かんでは消え、しています。
「なんで古い建築を見て回るのか?」
「古い建築を見て回って、何が、どう、良いことがあるのか?」
ひとから、同じように訊かれることもあるのですが、そのたびに答えに窮してしまい、みっともない思いをしてしまっているので、このあたりで一発奮起して、まじめに考えてみようと思います。

まず最初に断っておきますが、わたしは基本的に「歴史的建築マニア」ではありません。
「古建築の保存運動」になどさして興味もなく、そういう「古建築の王道」を行く方々からは邪道扱いされるような、そんな感じの存在なんだと思います、きっと。
そしてまた、わたしは歴史研究者でも歴史マニアでもなく、建築を作る側(建築家)なのですが、いわゆる「古い建築を参照してつくる」タイプの建築家ではありません。

建築家にはいくつかのタイプがあり、そのひとつに、日本の伝統的な空間構成にのっとり、ひとが心地よくなる適材適所に素材を選択し、人の心の記憶をうまく慰撫する建築を創る建築家たちがいます。そのタイプの建築家であれば、古い建築を見て勉強し、それをすぐに次の仕事に活かすことが出来るでしょう。
しかし、わたしはそういったタイプの建築家ではありません。直接的に、見て回った「古建築を作品に活かそう!」とは、あまり思っていません……。

「建築巡りを作品に活かそう!」つながりで、もうひとつ脇道に逸れて、お話しすると……、
十年以上前に、「とにかく建築の勉強をし直そう」と心に決めて現代の建築ばかりを何年も掛けてやたらと見て廻ったことがあります。実際の仕事に活かそうとの下心全開で走り回ったのですが、いま思い返すと、アレは本当に「役に立たなかった」ですね!
いま思うと「即物的な欲」が強すぎて、あんなんじゃぁ、何も身に付くわけがありません……(苦笑) 当然ながら、勉強も、建築という創作も、もっと無心でやるべきですね。

話が逸れに逸れて、自分が一体何を言いたくて筆を起こしたのかよく分からなくなってきましたが(笑)、無理やり話を戻します。
さて、じゃぁ、建築ヲタクでも和風モダン的建築家でもないわたしが、何故にして古い建築を見て廻ろうと思うのか?

……なんだか、話も長くなりそうなので、つづきが読みたい方は、下をクリックしてください……。脇道に逸れてばっかりですね(苦笑)

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posted by JIAみやぎ at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築雑記

2011年01月08日

閑話休題・奈良巡り(上)

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「小堀遠州巡り」を企て、京都で二日を費やす旅程を考えていたのですが、ふと思いつき、二日目は奈良に行くことにしました。
「こどもにでっかい大仏を見せてやろう」との建前ですが、なんだか重源に吸い寄せられているような……。

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posted by JIAみやぎ at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築雑記

2011年01月04日

建築家職能運動120年奮闘記 M

 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
さて、辰野と共に第一期生として造家学科を卒業し、造家学士となった曾禰、片山、佐立らは皆、工部省に入省しました。曾禰27歳、片山25歳、佐立23歳のことです。
 工部大学校は官費によって運営され、授業料は無料、しかも小遣いまで支給されたそうですが、そのかわりに卒業後7年間は工部省に奉職することが義務づけられていたのです。
 このように、西欧建築の教育を受けることによって我が国初の建築家が誕生したとはいえ、その立場は西欧のアーキテクトのそれとは異なったものであったといわざるを得ません。その立場は時代が彼らに要請したものでした。
 彼らはまず外国人建築家に代わって、国家のための建築物を洋風建築によって実現する使命を負わされていました。政府の営繕機構に身を置き、西欧建築の指導監督をするという、まさに開拓者としての大きな役割を担っていたのです。しかも洋風建築に対してはまだまだ未熟な技術者や職人、前近代的な建設業界、劣悪な建設材料等未発達な建築界のあらゆる問題に立ち向かわなければならず、その仕事は建築家の仕事を超えた広範なものでした。
 職能という点から見れば、クライアントは国であり、自らは国に仕える官僚という立場であり、施工者との関係は官と民の主従関係ということで、西欧的なプロフェッションとしての自覚を持てなかったのは当然だったのではないでしょうか。

松本 純一郎

2011年01月01日

小堀遠州巡り京都編(後編)

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皆様、明けましておめでとうございます。

前回に引き続き、小堀遠州巡り京都編の後編をお送りいたします。前半では金地院庭園と南禅寺方丈を巡りましたが、ちょうど近くに銀閣寺があり、その庭と何がどう違うのか、気になったので、そちらも廻って来ました。
結果として、何がどう違うのかは全く分からず仕舞いだったのですが、まぁ、写真だけでもご覧ください。

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posted by JIAみやぎ at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築雑記