2010年12月31日

小堀遠州巡り京都編(前編)

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以前、「松純が語る『建築家職能運動120年奮闘記』」に発奮して、小堀遠州巡りをしようと思い立ったのですが、幾つかを巡って来たので、ご報告をいたします。

ここでご紹介するものの幾つかは以前に見たものもあったのですが、今回改めて見てみると小堀遠州の建築家・築庭家としての能力に改めてびっくりしました。庭とそれに面する建築空間の作り方だけで、これだけ面白がれるとは思ってもみませんでした。

ここからは、やたらと膨大な量の写真を掲載していますが、これでもかなり絞ったつもりです。しかしこれ以上絞ると、どうしても建築を見たときの感激を削いでしまいそうな気もして、悩むところでもあります……。

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2010年12月27日

建築家職能運動120年奮闘記 L

 1879年(明治12年)10月、いよいよ日本で初めての建築家が誕生します。当時は欧米と同じで秋から年度が始まっていました。
 辰野ら工部大学校一期生も入学以来6年目を迎え、6月に卒業設計、9月に卒業論文提出そして卒業試験があり、10月の卒業式というハードなスケジュールに耐えていました。全学科一期生30名のうち卒業できたのは20名。そのうち各学科の首席卒業者が、2年から3年の英国留学という栄誉を与えられることになっていました。
 造家学科においては、卒業設計と卒業論文では片山東熊と曾禰達蔵に負けていた辰野は、不眠不休で望んだ卒業試験で二人を圧倒します。そして落第することだけが心配で努力してきた本人にとっても、思いもよらぬ首席の座を獲得したのです。
 6年間ぶりに唐津に帰郷した辰野は、親の薦めで幼なじみのお秀さんと結婚。その2ヶ月後、他の学科の留学生ら11名とともにロンドンに向けて横浜港を出帆したのは、1880年(明治13年)2月のことでした。
松本 純一郎

2010年12月21日

小堀遠州を巡る娘ネタ……。

今週の「松純が語る『建築家職能運動120年奮闘記』」に発奮して、小堀遠州巡りをしようと意を決した私でありましたが、そのあとにあった話をひとつ、投稿したいと思います。
ちなみにわたしは「いつも娘ネタを投稿している彼」ではありません。というか、そういうことにしておいてください。今回の話はあまりにも、度を越えた娘自慢で、このブログにせっかく来てくださった皆さんに、ドン引きされる恐れがあるからです……。もしこの時点で「あ!あかん!」と思われた方はこのまま退避してください。少し危険です。……わたしもたぶん、かなり嫌われます。

家に帰って、「今年の冬休みは小堀遠州巡りをするぞ!」とひとりごちてコンピュータに向かい、方々のサイトを検索していましたが、それを聞いたうちの長女(小2)が、です。本を読みながら、「わたし知ってる!」って言うんです。

「また長女の知ったかぶりが始まったか……」と無視して検索していると、
「砂で庭を作ってね。それで川の流れを表現したの!」
ふむふむ、まぁ、正しくもないけど、間違ってませんわなぁ……。ちょうど、モニターには竜安寺の石庭のページが表示されていました。竜安寺の石庭の作者はいまだ不明なようで、小堀遠州が作者だという説もあるようです。
「そう、これ!」
「これね。庭に石が15個置いてあるの。でもどこから見ても14個しか見えないような構図で作っているんだって。『15個目の石は心の目で見なさい』ってことなの」
うちの娘、「こーず」って言うんですよ!意味分かっているのか知らん。

どこでこんなネタを仕入れたんだか……。うちの長女は、とにかく本の虫というか、活字中毒で、読み始めるととまらないんです……。先日の参観日でも、少し早く教室に行くと、クラスメートたちがわたしの周りに駆け寄ってきて口々にうちの長女のエピソードを話し始めます。「○○ちゃんたら、昼休みが終わって先生に『やめなさい』って何回も怒られているのに本読むのやめないんだよォ」一年の時には、四時間目の図書の時間に読み始めた本がやめられなくて、先生が横で怒っているのを無視して給食の時間が終わるまで、本を読み続けたそうです。

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ふつう、小学生が「小堀遠州」って聞いただけで、こんな風に答えますか!!
……うーん!!
うちの長女が末恐ろしくなる以上に、自分の親ばかっぷりが、恐ろしくなります……。(苦笑)

仮面の(M)
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2010年12月20日

建築家職能運動120年奮闘記 K

 明治になるまでの日本においても、城郭、寺院から茶室、町家に至るまで建築物は無数に存在していました。それらを計画し建設したのは、主に大工棟梁と呼ばれる職人でした。 
 ブルーノ・タウトが桂離宮を見て、近世日本最大の建築家として絶賛した小堀遠州が建築家に最も近いのかもしれません。JIAを紹介する冊子には、「日本の建築家的存在」という見出しで次のように書かれています。
「日本には工匠制度があり、近世以前に建築家は存在しなかったといわれてきました。しかし、近世以前にも建築技術にも精通し建築を計画しデザインした建築家的存在はいたのです。たとえば13世紀鎌倉時代に活躍した重源は61歳で大勧進を任じられ、国より何ら資金的な援助を受けず15年の歳月をかけ東大寺大仏殿を再建しました。彼は和様唐様と異なる大仏様という極めて構造的で力強い様式を作り出したのです。大仏殿は惜しくも焼失しましたが、東大寺南大門、浄土寺浄土堂に彼のデザインを見ることができます。彼は僧侶でありましたが建築家的存在といえます。また17世紀江戸期の小堀遠州も工匠でもない日本の代表的な環境建築家といえる存在です。城は勿論、殿舎、茶室、庭をよくし、そして遠州好みという様式を確立しています。この他にも多くの日本における建築家的存在を歴史上見ることができます。」
 とはいえ日本が本来の職能としての建築家を得るに至るのは、西欧からの近代文明が伝えられた明治になってからと考えてよいでしょう。

松本 純一郎

2010年12月15日

保育所の先生と働くお母さんたち

師走の忙しさに翻弄され、このページも更新が滞りがちになってしまっています……。
本当であれば、先日開催した『設計コンクールの傾向と対策と』についていろいろと触れておくべきところですが、せっかくなのできちんと時間をとって総括しようということになっているようです。参加してくれた学生さん数人からもコメントが寄せられているようですし、何とか早めに返事をしてあげたいのですが、本当にみんな、仕事に追われてしまっているんですよ。ごめんよ。学生さん!

さて、そうは言え忙しさにかまけて更新しないってのはマズイので、何とか踏ん張ろうと思っています。
と、言うことで「娘ネタ!」です!!
「またか!」とがっかりされた皆さん。本当に申し訳ありません。しかし、「喰いもんネタ」と「娘ネタ」は本当に気軽に書けて楽なんっすよ。鬱病に追い込まれないために、私はあえて、こうしたサボりに精を出すように努力してます(笑)


先日は、次女の通う保育所の発表会に行ってきました。長女の授業参観といい、本当にこの季節には集中するんです……。うちの次女は保育所の年長組で、出し物は「そら豆のベッド」という童話を劇に仕立てたものです。うちの娘は「そらまめ」役でした。
しかし「しょせん保育所の出し物だろう」となめて掛かったのは間違いでした。
18分に及ぶ劇は、劇というより、ミュージカルに近いもので、全曲は先生自ら作詞作曲のオリジナル曲で、よどみなく最後まで浪々と流れてゆきます。振り付けもこの劇のために細かく演出され、全員分の衣装も役に応じて全てデザインされ、手作りで縫ったものでした。
いやすごいですよ、この完成度。18分間、全く飽きることがありませんでした。

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しかし、保育所の行事ごとにひしひしと感じるのは、保育所の先生たちとお母さんとの仲の良さです。
冗談の言い合いはまるで友達同士のようですし、本当に対等に言いたいことを言い合います。
この雰囲気は何なんだろうなぁ、とずっと、思っていました。小学校の父兄と先生の関係は、こんな感じじゃないし……、送り迎えで毎日顔を合わせている、っていうのもあるんでしょうけど、どうも何かがそれ以上なんですよねぇ。

最近、少しだけ分かったような気がします……。
きっと、保育所の先生と、お母さんたちは戦友か、同志なんだろうなぁと思います。
子供が生まれてから手が掛からなくなるまで、働くお母さんたちにとって、一生の中で一番つらく、そして一番しあせな時期を、一緒に一生懸命に戦い抜いた同志なんです、きっと。保育所の先生たちも、多くは、働きながら子育てをした経験を持つお母さんで、少しだけ立場が違うだけで、同じ立場なんですよね。
だからあんなふうに自然に笑い合えるのでしょう。
うちの長女の卒所式(保育所なので卒所式なんです)のときも、お母さんたちと先生たちは大号泣し続け、こどもたちはそれにびっくりして照れ笑いしていましたが、今年もきっと、そうなるんでしょう。
わたしも、保育所の送り迎えの時、先生に分け隔てなく笑いかけてもらった瞬間に、少しだけ、その仲間に入れてもらったようで、うれし恥ずかしく感じることがあります。
(T)
posted by JIAみやぎ at 18:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記!のようなもの…

2010年12月13日

建築家職能運動120年奮闘記 J

皆さんのコメントをつい最近読んで感激しました。楽しみにしていただいて本当にうれしく思いますし、益々やる気が出てきました。今後ともよろしくお願いします。
  さてヨーロッパ近代で最初の建築家はブルネレスキだと言われています。それまでも建築を造ってきた職人や建築をプロデュースした権力者はいましたが、1人の芸術家としての建築家は彼が最初の存在とされています。彼が生きたルネサンス期には、アルベルティ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチらがいました。彼らは画家や彫刻家であると同時に物理学、数学などの研究者でもあり、その成果を建築に応用しました。このようにしてヨーロッパでは芸術家にして科学者であり、しかも個人として独立した建築家像ができあがったのです。
そのような歴史的背景から、ヨーロッパでは、建築学科が工学部ではなく美術学部や人文学部に属していたり、独自の建築学部であったりするのも当然だといえます。

2010年12月11日

デザインウィークinせんだい2010初日レポート!


「デザインウィークinせんだい2010」初日のレポートという大役をを仰せつかったものの、やんごとなき理由により大きく遅刻してしまいました。
しかも、JIA宮城の主催「アーキテクツウィーク」のメインイベントである
「JIAフォーラム『アジアの現代建築 - 日本・韓国の建築家がつなぐもの』」のレポートに大きく穴を開けてしまう、という大失態を演じてしまいました……。

急いでメディアテークに駆けつけたときには、既に金先生の講演の最後の部分でした。
古谷さんと金さんの対談は見ることが出来たものの、古谷誠章さんの講演は一切聴けず、金先生の話も最後の部分がとても面白かっただけに、本当に残念でした。
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まさに痛恨に極み!
関係者の皆さんにお詫びをしなくてはなりません!!

次いで、7時からはオープニングパーティです。
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すごく綺麗ないおねぇさんが、派手に踊ってるなぁ、プロは違うなぁ、と思っていたらなんと宮城大の学生さんたちらしいです。いやぁ、すごかった!
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こんな感じで大盛況でした。

われわれJIAのみんなは場所を移して、金先生を囲んでの忘年会です。
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これも盛り上がりました。
楽しかったなぁ・・・。呑みすぎたけど・・・。

ちなみに、なんで「JIAフォーラム」に大遅刻してしまったかというと……、

……実は娘の授業参観だったんです……。
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いつも顔をあわせている、○○ちゃんのおかあさんに満面の笑みで「皆勤賞ですね」と耳打ちされてしまいました……。
いやぁ、お恥ずかしい……。
そんな風に言われると、まるで仕事をしてないみたいじゃないですか!
(てしま)

2010年12月09日

「星野新企画!」のエブリバディ・ウェルカムな件!


唐突ですが、先日のこのブログ内への投稿、「星野新企画!(仮題)JIA宮城サロン『設計コンクールの傾向と対策』」にいただいたコメントを転載します。
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はじめまして。
お聞きしたいことがありコメントしました。
当日は飛び込みで発表したり出来るのでしょうか?
Posted by ito at 2010年12月07日 19:44
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結論から言うと……、
……こういう質問を貰うまで、何にも考えていませんでした!

が、
泥縄式に、厳粛な会議(笑)にかけた結果、「遠来枠」で飛び入り志望の彼を受け入れよう!ということにしました。まぁ、甲子園で言うところの「21世紀枠」のようなものですね。
ただ、「全部自由!」「オールフリー!」っていうのも、ハヤリのビール風ジュースか、バナナの叩き売りみたいになってしまうので、すこしばかりルールを設けようということになりました。
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[ルール1] 何らかのコンペやコンテストに何らかの賞に入賞した作品であること
[ルール2] 第1回目の今回は会場が狭いため模型やパネルの持ち込みは不可
[ルール3] 持込データはJPEG形式、あまり重くないもの(USBメモリ又CD-R)
[ルール4] 道場破りまがいに「たのもう!」と大声で挨拶しないこと。
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でもまぁ、出来れば、事前に教えていただけたほうが良いですね……!
こういう質問がすぐに来るところを見ても、この企画の将来の成長を予感させます。

「いとう」くん、是非是非参加してください!
また、「我こそは!」と、いきり立っているそこの学生諸君! 君たちも!
管理人2号

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JIA宮城サロン『設計コンクールの傾向と対策』の問い合わせは……、
miyagi@jia-tohoku.org 担当:星野・手島 まで
posted by JIAみやぎ at 08:34| Comment(3) | TrackBack(0) | その他もろもろの告知

2010年12月08日

「マキオのひとり旅」

「マキオのひとり旅」という小学生向けの本をご存知でしょうか?

わたしが小学生のころに読み、一番感動した本で、今でも鮮明に記憶に残っている一冊です。数ヶ月前に、たまたまアマゾンで見つけた中古本を、衝動買いしただけでページをめくることも無く、その辺に放っておいたのですが……、
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小2の長女が、「マキオのひとり旅」を読んだよ、と今日突然に言います。
僕の「どんな内容だったっけ?」との問いに、長女は、つっかえながらも一生懸命に粗筋を説明してくれました。

僕がこの本に熱中したのも娘と同じ小学校二年生のときです。夏休みに読んで、初めて童話ではない本を読む面白さに、本当に感動したことを覚えています。何度も読み返し、読み返しては父親や母親を捕まえて、この本の何が面白いかを一生懸命説明していたそうです。
いまでも鮮明に覚えていますが、夏休み中の一日だけ学校に行く「登校日」のことでした。担任の柴田先生を捕まえて、一生懸命にこの本のどこがどう面白いか、自分が初めて体験した「本を読んで感動する」ということについて、クラスのほかの友達にも是非読んで貰うべき事など、切々と話をしたことをリアルに思い出しました。
出身校田井小学校の新校舎1階の教室の後ろの窓際、クラスで飼っていためだかの金魚鉢を透かして、夕陽が差し込み始めていました。柴田先生は八重歯のチャーミングな、笑顔がかわいい割りに声が低い、綺麗な先生でしたね。

そしてもうひとつ、鮮明に覚えているのが、ニコニコ笑いながら先生が何度も繰り返して言ってくれた一言です。
「てしまくんが面白いと思っても、みんなが同じように感じるわけじゃないんだよ……」
あのやさしい柴田先生が、何度も繰り返さざるを得ないほど、僕はこの本に取り憑かれていたんでしょうね……。

そんな些細なことまで思い出してしまいましたが、わたしの押し付けがましさは、このころには存分に発揮されていたようです。(笑)
そのときには、先生の言う意味がまったく分かりませんでしたが、今となっては、恥ずかしいばかりです……。でも、僕にとっては「雷に打たれるような得体の知れない感動」に出会ったはじめての経験だったんです。
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(てしま)
posted by JIAみやぎ at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記!のようなもの…

2010年12月06日

建築家職能運動120年奮闘記 I

 工学寮が開校して2年目の1874年(明治7年)、「工学寮学課並諸規則」が発表され、前にお話した7学科が専門科として設けられることが決まりました。
 当時ウォートルスの設計で完成しつつあった銀座レンガ街に感銘を受け土木を希望した曾禰と、機械を希望していた辰野は、教頭ダイアーの助言や成績の具合もあって、造家への進学が決まります。しかし造家学科は専門の教師も決まっていない状態でした。というのもイギリスではアーキテクチュアの学科は、美術学校か総合大学の独立した学部にあり、ダイアーの母校であるグラスゴー大学を始めとしてイギリスの工学関係の大学にはなかったからです。
 そこでダイアーは当面、以前から明治政府に雇われていたフランス系イギリス人で、工学寮の講堂なども設計したシャルトル・ド・ボアンビルを起用することにしたのですが、あくまで暫定ということでした。ボアンビルは建築技師であったウォートルスらとは違い、100%アーキテクトでしたが、彼の英語がフランス訛りで分かりづらく、建築や建築教育への情熱も今ひとつ、ということで曾禰と辰野はダイアーに不満を訴えます。そして専門科が始まって2年後の1877年(明治10年)に、ようやく正統派の建築家コンドルの来日が実現することになるのです。
松本 純一郎

2010年12月05日

最近『擬洋風』に目を見張ること

松本さんの連載『建築家職能運動奮闘記』に触発され、壮大なる物語の先が気になって仕方がなくなり、アマゾンで漁った近代建築史の本を読み漁っております……。
建築を学び始めて二十年、ずっと、近代建築史は「擬洋風」といううものの摩訶不思議な形態がどうにも苦手で、好きになれませんでした。だって、あれは素直に考えれば、西洋コンプレックスに固まった猿真似、って感じがしてしまうもんだと思います。
しかしながら、松本さんの文章を読み進めるにしたがって、わたしの中に、一筋の光明ともいえる、近代建築史鑑賞の道筋が見え始めてきました。
いま、数十年の待望を経てドラマ化されている「坂の上の雲」という小説がありますが、あの主人公たちの闇雲な向上心と、「近代建築史上突如発生した『擬洋風』」がわたしの中でシンクロしているのです。
そうなると、アレほど醜いと毛嫌いしていた『擬洋風』が、なんとも(いびつでも)美しい結晶のような輝きを放って見えてきます……。

ところで、ここ数ヶ月雑用に追われ、数ヶ月ぶりの日曜日だなぁ、と思い、年末まで見渡しても最後の日曜日のようなので、思い切って娘たちと大掃除をしようと思い立っちました。
少し片付けては絵本に目を奪われて読みふけってしまう娘たちを昼飯のラーメンで釣り、久しぶりで見つかった「宝石」の取り合いで喧嘩を始める娘らを食後のアイスクリームで釣り……、と、悪戦苦闘しつつ、何とか大掃除を進めておりましたが、
……冷蔵庫の掃除に取り掛かった瞬間に、冷蔵庫の奥に隠れていた恵比寿ビールに、ついつい手を伸ばしてしまった父親でありました……。
(てしま)
posted by JIAみやぎ at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記!のようなもの…

2010年12月04日

困ったときの得意ネタ!

特に何かネタがあるわけではないんです。むしろ全くないって言っていいくらいです。何となく日常のドタバタに追われ、まともに投稿するのは、本当に半月以上「むかし」って感じになってしまいました……。「マズイ」と焦っての投稿です。
しかし、まぁ、言うほどまともなネタではありません!

困ったときの得意ネタ!

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……「喰いもんネタ」です。
わたしの超得意料理です。わたしのお好み焼きを食べて文句をいうヤツはいません!関西風、広島風の両刀使いですが、最近は広島風に凝っています。

そしてもうひとネタ!

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……「娘ネタ」です……。すいません。

いや、しかし、どうしようもなくネタ切れです……。
(Tしま)
posted by JIAみやぎ at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記!のようなもの…